海外なんていけば、タクシー=ぼったくり、というぐらい用心して使っていたものだ。
まずはタクシーを見つけて、行き先の確認、そして、値段の確認。これを現地の言葉も多少交えながら、ちゃんと交渉しないと、酷い目にあうこともあった。それゆえ、うまくいけば運転手と仲良くなることも、色々と聞ける話もあり、ある意味で旅の醍醐味ということでもあった。
残念ながら、こういったコミュニケーションがアプリに代行され(おそらく、全ての消費と契約は、アプリに代替されコミュニケーションは不必要になっていくんじゃなかろうか)、最近では、こんな心配はなくなった。醍醐味と言いつつも便利さには勝てない。どの国だろうが、一回しか乗らないタクシーだろうとも、こちらからレビューする機能があるから、運転手も変なことはできない。この仕組みのおかげでぼったくり始め、いわゆるワガママなことをする人は減ったと思う。程度は違えど、日本のタクシーも一緒で、いわゆる変なオッサンが減ったように思える。東京のタクシーはほぼしっかりスーツを着ているし。むしろ、地方で演歌がかかっているタバコ臭いタクシーに乗った時の郷愁ったら。
ともかく、あのタクシーおじさんたちはどこにいったのだろう(定年したんだろうが)。ともかく、タクシーの運転手が綺麗な、愛想の良い人たちになっていっている。
このアプリのレビューによる仕組みはよく出来ている。
昔なら、一見の観光客に対して、そもそも愛想をよくするインセンティブがない(勿論ぼったくりが正当化されるわけではないが)。いくら良くしたところで、まだ固定の場所にある飲食店とは違い、口コミやガイドブックがあるわけじゃない。そうなると、別に仕事を真面目に頑張るより、自分のやりたいように、そして、適度にぼったくる方が、仕事の効率がいいのは明らかだ。
レビューの仕組みがあるからこそ、自分の評点を下げないために、愛想よく、Googleマップの最短ルート通りに案内するようになる。
昔のタクシー運転手と、今のタクシー運転手、平均としてサービスが良いのは今なんだろう。でも、何かそもそも人間、タクシー運転手として働ければ、そんなもんだったはずが何か強制ギブスのようなもので、無理やり仕上げているような気がしてならない。
別にタクシーの運転手個人は、今も昔も対価は変わってないはずだ(アプリ会社は儲かっているだろうが)。そもそも人間の労働なんて、「テキトウ」人の「どうしようもない」くらいの品質があって、ちょっとはいいんじゃないかと思っている。
ある意味、悪貨が良貨が駆逐しない程度には、悪貨があっていいんじゃないだろうか。そもそも、それぐらいの人だったはずの人が、レビューという監視システムによって労働しているほうが、何か抑圧を生むんじゃないだろうか。そんな風に思っている。これは1つの感情労働じゃないだろうか。ただ、たしかに対面のサービス業をやっている限りには、多かれ少なかれサービス業であることは否めない。
別に、そこまで愛想よくしないでも、自分の聞きたい曲ぐらい好きに聞きながら運転してもいいのでは。これは、アプリの問題じゃなくて日本の過剰サービスの問題だろうが。
これはタクシーに限った話だけど、このレビューという相互管理システムは、フーカーのパノプティコンが消費社会に実装されていく実例だろう。そして、単なるマッチングをはじめ、このような感情労働市場まで、さらなる波及をしそうだ。