言語学も貨幣(もしくは金融商品)も、人に使われないと存在できないという美人投票的な側面では共通しているので、比較研究したものがないか聞いてみた。が、芳しい答えは得られなかった。
User
言語学と貨幣論を結んで研究している学問や論文などありますか?
ChatGPT
言語学と貨幣論の関連性についての研究や論文は存在します。例えば、ドミニク・デュカールが著した「Langage et monnaie. Valeur et référence」では、西洋哲学の歴史において言語と貨幣の比較が繰り返されてきたこと、そしてこの比較がどのように経済、社会学、人類学といった視点から発展してきたかについて論じています。特にカール・マルクス、ゲオルグ・ジンメル、マルセル・モース、フランソワ・シミアンの作品を参照しています。この研究は、セミオ言語学的な価値の問いかけに焦点を当て、ソシュールのテキストの読み解きやアントワーヌ・クリオリの発話言語学の理論枠組みに基づく参照価値の概念について論じています (HAL Science)。また、香港城市大学のChak Chung KONGによる博士論文「Language, money and friendship: construction and management of multiple identities in network marketing discourse」では、ネットワークマーケティングの文脈において言語、貨幣、友情がどのように相互作用し、複数のアイデンティティがどのように構築され、管理されているかについて分析しています (CityU Scholars)。
これらの研究は、言語と貨幣という異なる分野がどのように相互に関連しているか、そして人間のコミュニケーションや社会構造に対して深い洞察を提供することができるかを示しています。
User
なるほど、そういう人類文化的なアプローチよりは、もう少し金融的なマネーストックだったりの理論を仮想通貨みたいな新しい金融商品の保証性を測るのに言語学が使えないかなって思ったんですよ。思いつきだけど。
ChatGPT
日本銀行金融研究所のウェブサイトには金融研究に関する情報がありますが、言語学を使って新しい金融商品の安全性を評価する方法についての直接的な情報は見つかりませんでした (imes.boj.or.jp)。このテーマに関するより深い情報を探すには、金融理論やデジタル通貨に特化した学術データベースや金融研究の出版物を調べると良いでしょう。User
例えばなんだけど、言語にも美人投票的な側面があるじゃないですか。要は、使われるものは使われるし、誰も使わない流動性の低いものは保証がない、というように。そんな感じで言語学の興隆を金融商品や通貨にもあてはまれらないかなと。日本語で。
ChatGPT
おっしゃる通り、言語には「美人投票」的な側面があり、よく使われる言葉や表現が流動性が高く、逆にあまり使われないものは流動性が低くなります。この考え方を金融商品や通貨に応用することは興味深いアプローチです。たとえば、広く受け入れられている通貨や金融商品は、より多くの人々に使われ、その結果、より安定した価値を持つと考えられます。このように、言語学の原理を金融の世界に適用することで、通貨や金融商品の流動性や安定性を理解する新しい視点を提供することができるかもしれません。User
https://chat.openai.com/share/4bb563bc-2d4c-4bb3-b03b-51ae998a8278
じゃあ、数式とかマネーストックの理論を言語学にあてはまって、それっぽい論文の序文を作ってもらえますか?
ChatGPT
本稿では、言語学の概念と理論を金融理論、特にマネーストックの分析に適用することを探求します。金融市場における通貨の流動性と価値の変動は、言語の使用と普及における「美人投票」的な側面と類似しています。この類似性を深堀りすることで、通貨や金融商品の受容と信頼性の基礎を再考し、新たな理論的枠組みを提案します。本研究は、言語学的分析手法を用いて、金融商品の流動性と価値がどのように社会的合意によって形成され、維持されるかを探ることを目指します。
例えば、自国の通貨が暴落している国では、より大きな国の貨幣が代替的に流通することが多い。よく途上国でドルが通用したみたいな話で、現在で言うと、アルゼンチンのように。言語学も一緒で、使う人がいなければ、より使う人は減っていき、加速度に対する弾性が弱い。
言語は、話者の統計がニュースで頻繁に出ることもないし、それこそ所有している資本が減る、みたいな貨幣を別の形態に変えたくなるような動機は少ない。
なので、言語のほうが貨幣に比べれば、利用者の増減はゆるやかであるが、人間が選択しているという点で何か共通するものがあるんじゃないかと思っていた。
そうすることで例えば、仮想通貨のような通貨が今後生き残るかどうかに、非中央集権的なリベラル的理想論と、儲かりまっせみたいな銭ゲバ的両端の話ではなく、冷静な論説が書けるのでは思っていた。
アイデアとしては、金融のアプローチだけでは仮想通貨を測ることはできない。それは金融商品というコストとリターンんが計算され尽くした、金融界の内に閉じた消費物ではなく、貨幣として流通する、という意味はなんなのか、である(もし金融商品としての価値で流通が決まるのならば、いまの利率で十分に流行るはずだが、実際はそうではない)。その研究がないのは、そもそも貨幣が国家によって保証され流通される前提だから、貨幣が流行るかどうか、みたいな前提が必要ないからだろう。
貨幣が暴落する、つまり利用されなくのは、貨幣そのものの価値というよりも、他国の貨幣との比較という相対的な意味合いも強いはずだ(国家の債権がダメになるのも大方あるだろうが)。
言語にも、減少している話者に対して、どこかで踏みとどまったようなものはあるだろうか。その辺りを分析してみたら、貨幣として仮想通貨が見れるんじゃないだろうか。