<「リンゴが落ちたって万有引力は発見できないさ」>
数学の小噺でニュートンが万有引力を見つけたのは、りんごが落ちているのを見たから、と言われているが、実際には作り話というか、ニュートン自身がしたかもしれなくとも確実に創作である。
という話は、僕が飲み屋でする話(100個くらいある)のうちの1つなのだが、ちゃんとその過程を書いてある記事を見つけた。ケプラーの3法則を検証した結果という大方のストーリーは間違っていなくて、良かった。というか、高校生のときから、こんな話を知っていたのは幸運だ。
http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/m-mat/NON-EXPERTS/SHIMINKOUEN1999/SUGAKUKAI/res5.pdf
ニュートンの万有引力は、膨大なデータ、計算、実験に、永年発達してきた円錐曲線論などの数学体系を応用し、そこにニュートンの霊感が働き、微積分学の成立とともに発見された物理法則です。こちらは、社会みんなには理解されない。理解できないから、リンゴの話にすりかえて、真実をみないでわかった気になる。
(中略)
エーリック・フロムは、ニーチェの言葉を引用した上で、現代社会は「人間は死んだ」
という状態であろう、と言っています。人間的な人間・いいひと・誠実さ、といったもの
が、あったと思い込んでいて実はなかった。そして人間は、価値(自分に付ける付加価値
や、他人の評価)を追求するロボットとなり、市場で取り引きされる対象(成績がいいと
か論文をたくさん書くとか美人だとか肝臓が悪いとかで、「値段」が決まって売り買いされ
るもの)としてしか、自分自身を体験できない、と言っています。
僕は、このフロムの指摘した人間の退廃が、学問の世界で引き起こしている退廃を、「真理は死んだ」と表現したい。
<「壁・寿司・民藝」 #プロフェッショナル>
落合陽一のブログ
https://note.com/ochyai/n/n2f8f6262a6c7
喜びを共有することが「民藝の健やかなる営みの本性」だとするならば,この番組で語られた「喜びの共有」の意味を着地させることもできたはずだ.(魔術化された世界:計算機自然での人間とAIの関係性は自然と霊性に似ている)。
「メディアアートは計算機自然の土着民藝」である、という主張は分かるのだが、民藝がそもそも人間の喜びに発露があるというのは、少し能天気すぎないか・・・と思ってしまう。
<チコちゃんに叱られろ!>
亡きコラムニスト小田嶋隆さんのブログ
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2020/06/post-3a5e97.html
笑いは、権力に対抗する有力な手段だと、大学の教室ではいまだにそういうお話がまかり通っているのだろうか。
もちろん、そういう場合もあるだろう。
巨大な権力に圧倒されていた古い時代の民衆は、表立った抵抗を断念する代わりに、笑いで抗議の意を昇華していたのかもしれない。でも、笑いが権力に対抗できるのは、それ自体が権力だからだ。
というよりも、笑いは、多くの場合、権力を媒介している。そういうものなのだ。
われわれが笑う時、その笑顔は力を持っている者に向けられている。営業部長が何かを言うと営業部の全員が笑う。得意先の重役が軽口を叩くと、テーブルのこっち側にいるわが社のすべての人間が大きな声をあげて笑う。そういふうに、笑いは、強い者から弱い者に向けて強要され、目下の者から目上の者に向けて奏上されている。